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どうらく息子

光洋です。

私はまんがが好きで、読み出すと止まりません

最近読んでいるお気に入りの中に「どうらく息子」という作品があります。

ある男性保育士が突然落語家に転身し、一から修業を始めます。
様々な人間ドラマの中、失敗を繰り返しながら厳しい修業を積み、経験を重ねて成長していきます
現在連載中の作品なので、彼は前座でまだまだ修行の身です。これからどこまで行くのでしょうか



私が興味深いと思ったのは、落語の世界の修業システムです。
師匠は言います。「落語は人の了見を知ることだ」

了見って凄い言葉だと思いました。
人生、感情、感性、感動、etc・・・ 色んなものが含まれている。
了見を知ることなんて、出来るんでしょうか?


でも了見をわかるために、前座達は悩み苦しみます。
どうしたらよいかなんて、誰も教えてくれません。ミスをするとただ怒鳴られるだけ。
落語の世界では自分自身の頭と体を使う事が徹底的に求められます。

そして師匠にお茶を出すのも了見を読まないといけません。
師匠は言います。「この茶は癇に障る茶だ」
前座達は何が悪いのか全身で悩みます。答えなんか誰も教えてくれません。そもそも答えがあるのかもわかりません。

答えを教えない、知識を親切丁寧に教えないのは、本当に必要なのは謙虚に貪欲に全力で学ぶ姿勢と達成感であり、知識を教え過ぎる事は人の可能性を閉じる危険性をはらんでいる事を、先人達はわかっていたからではないでしょうか。そして答えなんかない事も。
施術家も人の気持ちを相手にする生業であり、私達の修行システムではこの点をどうするべきなのかと、改めて考えさせられました。



前座達は先輩、後輩、師匠、おかみさん、お客さん達に揉まれに揉まれ、人生の悲喜こもごもを経験します。
修行が財産という伝統の背景には長い歴史の熟成があります

深い気づきや智恵を自分のものとするには、インスタントに学習してしまうと深みがなく狭量なものになってしまう。
自分の全ての能力を出し切って、時間をかけて悩みに悩みぬく、その度量と余裕が必須なのではという事を教えてくれたと思います。

辛い修行を若いうちの回復力旺盛な時期に通っておくシステムが日本の文化には存在していたけれど、今の時代それが消えかかっているのが現実。でもそこに注目する人もいてこういう作品を作ってくれる事に嬉しくなりました。


施術家は落語家と全く同じ。まさに人の了見を見抜く必要がある生業です。
施術家にも落語家と同じような修行システムがあったはずですが、今は良くも悪くも崩壊しています。
ますます自分を律する必要があるなあと、背筋が冷たくなりました。
癇に障るお茶を出さないように、精進したいと思います。



楽天ブックス どうらく息子
http://books.rakuten.co.jp/rb/6918248/

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saitoseikotuin

Author:saitoseikotuin
斉藤
 整骨院


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横浜市・相鉄線鶴ヶ峰駅より3分



<夫 斉藤光洋> 
整骨・温熱療法と頭蓋仙骨療法(クラニオセイクラルセラピー)をやっています。赤ちゃんから、幅広い年齢の方にお手当てしています。1968,7,4生 横須賀市出身

<妻 斉藤麻紀子>
「いのち・こころ・からだ・くらしの学びあいの場〜Umiのいえ〜代表。特技はファシリテーター。
1968,7,3生 群馬県大泉町出身

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